男鹿市議会 2020-03-03 03月03日-03号
このロボットは、市販の水中ドローンをベースにしており、搭載したカメラの映像からウニを画像認識し、パイプを近づけてウニを吸引、ホースを通じて船上に自動輸送する実証実験が2019年12月、南三陸町で行われました。 また、三陸地方で捕獲したウニを陸上施設において畜養し、販売する案も試行中ですが、対する男鹿市の方針は、どのようになっているのかお伺いします。
このロボットは、市販の水中ドローンをベースにしており、搭載したカメラの映像からウニを画像認識し、パイプを近づけてウニを吸引、ホースを通じて船上に自動輸送する実証実験が2019年12月、南三陸町で行われました。 また、三陸地方で捕獲したウニを陸上施設において畜養し、販売する案も試行中ですが、対する男鹿市の方針は、どのようになっているのかお伺いします。
県外からの観光客らを対象に、ふるさとの宮城県南三陸町など県内各地に3.11の記録と記憶を語り続けているそうです。「風化で被災地への関心が低下すれば、復興はさらにおくれ、被災地は見捨てられる。それが怖い」と言います。12歳の少女であります。実際、6割しか使われていない復興債、こうしたことにもしっかりと目を向けることも私たちの務めだと思いました。復興を祈りながら、通告に従い一般質問を行います。
昨年3月11日東日本大震災、大地震、また、大津波の危険も顧みず、早く皆さんが避難するように防災センターの防災無線で最後まで声をからして知らせた、避難誘導に従事された宮城県南三陸町の女子職員の方のことを思うにつけ、仙北市においても、例年の豪雨、災害時等の救助、または避難等にも日夜を分かたず、市民の避難、安全対策に従事されている市職員の方々を見るたびに、いざとなれば市民ために最大限の力を発揮される方々ではないかと
例えば、庁舎が高台にあって被害の少なかった大船渡市と、庁舎ごと被害に遭った南三陸町、大槌町では大きな違いがありました。 市庁舎建設に当たって、もとより防災機能の強化は当然ではありますが、大震災を経て、日本じゅうで防災に対する根本的意識が大きく変わったのではないでしょうか。
今回の震災では、孤立した南三陸町の歌津地区では食糧が届かず、1週間もの間、流された食糧をかき集めてしのいだ例もありますが、災害が起きてから市がすべてを把握し、支援の手を差し伸べるまでの避難所での食糧需給の問題、ライフラインや停電時の発電機の対応など、ぜひいま一度自主防災組織の重要性を再認識し、期限つきで北秋田市全集落、町内会での組織の結成に向けて、予算面の援助も含め、その対応について、市長より前向きな
ただ、釜石から南三陸の方まで下ってきたわけですが、陸前高田や南三陸、目の前に広がった光景は確かに以前に比べれば片づいてはおりました。仮設住宅も整備はされておりました。ただ、その土地にはまだ全然未来が見えないなと。護岸工事も全然始まっておりません。瓦れきも決まった場所に寄せられているだけでした。津波を受けた病院などもまだ手がつけられないでそのままの状態で残っておりました。
宮城県南三陸町の志津川中学校では、生活用水の復旧に1カ月ほどかかった上に、水道水は今も飲み水として使えないと言います。また、震災当初には、校庭に穴を掘ってブルーシートで覆い、仮設トイレとして使ったそうです。菅原校長は、「今回、一番困ったのは水だった。災害の大きさを事前にしっかり想定し、相応の備えを十分しておかなければ」と話しておられます。
私は、5月29日に気仙沼、南三陸町の友人の安否を確認しながら支援物資を届け、大津波による被害状況を視察してまいりました。 南三陸の友人の家は津波で跡形もなく流されてしまいましたが、幸い家族や親戚の中に亡くなられた方やけがをした方はおりませんでした。 しかし、同僚や友人の中には犠牲になられた方が多くおられ、本人の気持ちはその方たちと同じであると言っておられました。
被災地の支援につきましては、人的支援といたしまして鹿角広域行政組合では発生当日から約1ヵ月間緊急消防援助隊を岩手県宮古市や宮城県南三陸町に派遣するとともに、市においても岩手県内での避難所運営のための職員派遣を約1ヵ月行ったほか、給水活動支援のための職員派遣と保健師の派遣をそれぞれ2回行っております。